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「写真で見る歴史と変遷」−昭和三十年代

高度経済成長時代の幕開けとなり、伝統的だった倹約貯蓄の価値観が崩れ、大衆消費・大量消費の時代に入り徳島産地はこの時代に飛躍的発展をとげます。

とくに婚礼家具としての鏡台は、木地・杢張(表面に薄い木目を張る工程)・塗装・仕上げ加工という生産の分業体制で、鏡台産地として全国に知られることになりました。

仏壇も同様に出荷額を伸ばし、全国一の産地に成長していきます。

昭和33年には徳島市が産地振興のため、市立工芸指導所を設置しますが、特に、所長にデザイナー兼木工技術者であった下田俊夫氏を登用し、デザイン指導・技術指導を強化したことや、県工業試験場の指導等が産地の発展に大きく寄与したといえます。

同34年には協同組合の連合会が結成されました。

 

   
 

 
 
     

 

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−徳島の木工−

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