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  木工業のおこり
 

徳島市は,四国三郎の異名を持つ吉野川の河口部に形成されたデルタ地帯に発達した都市です。
徳島市が,家具産地として発展してきた背景には林産物が豊富な地域であったことや江戸時代,城下町として栄えた事があげられます。
   
  15世紀半ば  

阿波国(現在の徳島県)は,葉藍や塩等の農水産物のほか,檜等の材木や板材の林産物が積み出されており,すでに木材や木材加工品の産地であったことがうかがえます。

「兵庫北関入船納張」(ひょうごきたぜきいりふねのうちょう)による

 

室町
時代

         
             
  1585年
(天正13年)
 

阿波国に蜂須賀家政公入国。
新町川河口部の城山に城を築き,藩の経営にとって重要な水軍基地(安宅役所)を福島に置き,そこに約200人の船大工を住まわせ,軍船の造船や修理にあたらせました。
 

戦国
時代

       

蜂須賀家政 公

軍船(水軍)

 


         
  1871年
(明治4年)
 

廃藩置県で藩がなくなり船大工たちは録を失いましたが,その中の幾人かが「安宅物」といわれる日常雑貨(ちりとり,もろぶた,まないた等),タンス,針箱,雨戸障子等の建具,桐下駄の製造を本業とするようになりました。船大工たちの長年にわたり蓄積された技術が,以後の木工業の土台となったのです。

その後,,建具や家具を作る指物大工,車大工などになり,鏡台,タンス,仏壇,針箱,下駄,水車・脱穀機などの農具の生産がはじまりました。
 



明治
時代

         
  1885年頃
(明治18年頃)
 

安宅町を中心に鏡台の製造が,さかんになりました。

「大阪鏡台」・・木地のままで大阪の問屋筋に販売し,塗りと鏡は大阪で仕上げました。
 
         
  1922年頃
(大正11年頃)
 

大正初期になって鏡台を完成品にまで仕上げるようになりました。

「阿波鏡台」・・徳島で完成品まで仕上げ,直販するようになりました。

静岡県とともに鏡台の全国二大産地となりました。

 

大正
時代

       

   
       

鏡のついた木製品展ー古い鏡台のコーナーより
(2002年8月7日〜22日)

   
        大正時代にはいって唐木仏壇も作られ始めるようになります。

 
  現在  

洋家具の製造は,戦後間もなく,官庁からの注文や京阪神からの引き合いにより事業拡大されました。

木工業は,徳島市の主要な地場産業として発展し,人材育成をめざし,昭和13年には,大和町に徳島市立工芸青年学校(現県立徳島東工業高校)が設けられ,昭和33年には,福島に市立工芸指導所(現市立木工会館)が設立されました。

木工業の技術は,一段と向上し,機械の導入などで分業を進め生産性もあがり,全国でも有数の生産地となっています。

シタン・コクタン・タガヤサン等を使った座卓,衝立を代表とする銘木製品は,全国有数の産地として有名です。

唐木仏壇(シタン・コクタン・タガヤサンなどを使った仏壇)の産地として全国一位となっています。
 

現代

             
         
 

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